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ESSAY,6
『モネの庭』
今回のパリ旅行も、いよいよ終わりに近づきました。
最後に、ずっと訪れたいと思っていた、
クロード・モネが晩年を過ごしたという家に、向かうことにしました。
朝早くホテルを出て、サン・ラザール駅から、
ルーアン行きの列車に乗り込みます。
セーヌ川沿いを走る列車から、外を眺めていると、
少し郊外へ向かうだけで、どんどん緑が多くなり、
とうもろこし畑や麦畑など、のどかな風景に変化していきます。
パリから約一時間、ヴェルノン駅で下車し、
さらに20分ほど、タクシーで、ジヴェルニーに向かいました。
両脇に大きな樹が並ぶ並木道を、ずっと走っていると、
家もまばらになっていきます。
すっかり緑が多くなった所で、車は停まり、
そこから「モネの家」まで、小道を7〜8分ほど歩きました。
そのあたりの田園風景に、モネがすっかり魅了されたというジヴェルニーは、
小高い丘を背に、田舎の素朴な風景が広がる、それは美しい場所でした。
むせるような草の香り、古い石造りの民家、
お散歩気分でのんびり歩くと、いよいよモネの家が見えてきます。
二階建ての細長い母屋は、ピンク色の壁で、緑色の鎧窓があり、
壁面にからまるツタや、回りにある緑の中で、
ひときわ明るく、柔らかい印象を与えています。
その家を中心につくられた庭は、想像以上に広く、また本当に見事でした。
庭は二つあって、一つは、家を中心にした「花の庭」で、
面積は1万2000平方メートルもあります。
もう一つは、道路をはさんで向こう側にある「池の庭」。
そこは、モネの晩年の傑作『睡蓮』が生まれた庭で、
面積8000平方メートルの広さがあります。
モネがジヴェルニーに移り住んだのは、1883年、43歳の時です。
彼の絵のコレクターの突然の破産や、妻の死などで、絶望しかけていた彼が、
偶然、汽車の窓から見かけたこの美しい町に引っ越した頃、
彼はまだ貧しかったので、大規模な庭をつくる構想などなく、
野菜を植え、家族の慰めになるようにと、花を植えたのだそうです。
そして、画家としての成功をおさめていった以降は、
絵のモチーフを、自然の中に探しに出かけるのではなく、
自分の庭の中に、自然を出現させ、それを描くことに情熱を注ぎ出したそうです。
その庭づくりには、絵を描く以上に夢中になったそうで、
『絵を描くのも、庭をつくる資金づくりだった』、と語っているほどなんですよ。
まず「花の庭」でいちばん目立つのは、やはり、バラのアーチでしょう。
家の正面に続く、バラのアーチのトンネルは、
うすいピンクのオールドローズ系のバラで飾られ、
フランスの抜けるような青い空とのコントラストが、とても素敵です!
広い庭には、他にもたくさんの種類のお花が咲いているのですが、
やはりピンクのバラが、いちばん多かったような気がします。
壁のピンクと、バラのピンクは、たくさんの色があふれるこの庭に、
調和と統一感を与えているようでした。
バラの他には、野性の植物や、外国から取り寄せた珍しい花が咲き、
白い可憐な花と濃い紫の花、黄色や赤など、様々な色の組み合わせがあり、
また、花の形や高さ、葉の形や微妙な緑色の違いまで、
しっかり計算されているかのように、配置されています。
でも、その一方で、強い色同士を組み合わせたりするなど、
遊び心もいっぱいで、まるで色のパレットが、そこに置いてあるような、
自由な感覚に、胸が躍りました。
同じ種類の花でも、早咲きのものと遅咲きのものを、
ちゃんと組み合わせて植えられているそうで、
常に成長し、変化し続ける庭として、また季節によっても表情を変えるようにと、
工夫はすみずみまで行き届いているそうです。
そうそう、オレンジ色やブロンズ色の花は、夕日が沈む時の空の色を考えて、
わざわざ西側に植えられているそうです。
もう、ここまでくると、モネの色に対する執念を感じますよね。
それにしても、この庭の美しさは、どこからくるのでしょう。
今はやりのガーデニングとも違うし、自然を単純に再生するためでもなく、
光とか、風とか、自然の神秘そのものを、
この庭につくり出したかったのではないかしら、
ある意味、ここが彼の理想郷だったのではないかしら?
色とりどりのお花に囲まれて、散策するわたしの心も、
すっかり、モネの描く幸福の色に染まったようで、
ふわふわと舞い上がりそうな気持のまま、
地下道を通って、道路の向こうにある「池の庭」に進みました。
さて「池の庭」は、さっきとはまったく趣の異なる庭が広がっています。
しだれ柳や、藤、竹、ブナなど、日本から取り寄せたものもあるし、
何より、池の中心にかけられた橋が、浮世絵からヒントを得てつくったと言われる、
太鼓橋になっているからでしょうか。
とても、東洋的な雰囲気が漂っています。
水には透明度はなく、どんよりと深い緑色をしているのですが、
丸く広がるように植えられた睡蓮と、そして地上にある緑や花、
空に浮かぶ雲の影も、鏡のように水面に映し出され、
風が吹くと、光とともに、万華鏡のように、色がいっせいに揺れ動きます。
それはもう、色の精霊が舞い踊っているような雰囲気で、
うっとりと、しばらく水面を眺めてしまいました。
最後に、リビング・ルームとキッチンなどが再現されているという、
家の中を見学しました。
すぐに目につくのが、壁にところ狭しと飾られている、木版画の数々です。
モネが、庭づくりの次に熱中したのが、日本の木版画の収集だそうで、
狩野派、尾形光琳、葛飾北斎を始め、
木版画が、350枚以上もあるそうです。
そうした日本の版画から、構図や視点、テクニックに新鮮なものを見出し、
またインスピレーションを得たのでしょう。
そうそう、その一枚をヒントに、「池の庭」に太鼓橋をかけたんでしたっけ。
モネが日本びいきだなんて、何だかうれしくなってきます。
お花が好きで、この道に入った私ですが、
ここに来て、改めて花の色の美しさ、豊かさに感激し、
また季節の光や、風や、色の組み合わせなど自然の力に加え、
花に対する情熱をプラスすることで、作品がより豊かになることを学びました。
モネが庭をつくり、それを描いたように、
私自身の幸福や、理想を、お花を通してつくりたい、伝えたい、
もっともっと、花にかかわることの喜びを味わいたいと、強く思いました。
その感動を胸に、もう一度パリに戻って、
彼の晩年の傑作と言われている、
「睡蓮」のシリーズを、最後に見ることにしました。
現在、それは、パリのオランジュリー美術館の地下、
「睡蓮の間」で見ることができます。
そこには楕円形の二つの大広間の壁面に、
ジヴェルニーの睡蓮だけが、飾られています。
高さ2メートル、長さ6メートルの絵を前に、
中央に置いてある円形の椅子に座って眺めていると、
その幽玄な世界に、声もなく、ただ見入ってしまうばかりでした。
そこには、モネがつくりあげた池が再現されているというより、
自然の奥底に眠る、花や風や光の生命力そのものが、
ゆるやかに、けれども力強く息づき、
向こうの世界に誘い込むような、不思議なエネルギーに満ちているのです。
もう何の言葉もなく、ただ深い満足感に包まれて、
オランジュリーを後にし、旅を終えました。
今回の旅行は、フラワー・アレンジメントそのものを学ぶというより、
お花の周辺や、パリのアートを、様々な角度から見る旅となりました。
そして最後に、モネの庭や絵からあふれる情熱に触れ、
自分の仕事に対する考え方や、お花に対する姿勢を、
もう一度、自分に問いかける時間を持てたように思います。
この感動を、私の作品として表現し、お花のすばらしさを、
みなさんと分かち合うことができたら・・・。
今日もそう願いながら、お花に向き合う私です。
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